教会史概観「序」「年表」2005-02-05 05:51:06 | Weblog
論文題:国吉守 講演「21世紀のキリスト」のための教会史概観
著者:池城安敏
c. 2005/02/02 (c. 2010/03/30 一部改定)
序
2005年1月30日、フセイン後のイラクでは初めての国政選挙が行われ、様々なテロによる妨害があったにもかかわらず、国民の多数派を占めるシーア派住民の投票率は約9割であったという。一方、前大統領フセイン政権の支持基盤であったスンニ派住民の投票率は20%台半ばに留まったが、フセイン後のイラクで世界の見守る中での国政選挙が行われたことの意義は大きく、イラク戦争に反対の立場であったフランスやドイツなどもこの選挙結果については歓迎の意を表した。「私は60年間この日を待っていました」という人へのインタビューなどもテレビなどで放映され、イラクの人々の喜びを放送を通して分かち合った方も多かったに違いない。
このイラクの国政選挙を実現させた政治的力は米国ブッシュ大統領言うところの「有志連合諸国 ( The Coalition )」であるが、その主力は言うまでもなくアメリカであった。この新生イラク国政選挙は2001年9月11日の米国同時多発テロを起点とする一連の出来事の政治的帰結点の一つである。その間、そのプロセスを導くアメリカという国と国民、その国の国家理念や宗教観、また、その熱烈な愛国的国民性は、同時多発テロ発生以来の約3年半の間、世界の注目を集め、様々な国の様々な人々、様々な階層や立場からの議論の対象となった。ブッシュ大統領は就任以来、アフガニスタン、イラクと大統領任期の第1期4年間のうちに二つの戦争を立て続けに行い、勝利し、二つの国の政体を変え、また、自国である米国の国家観や戦略にも根本的な変化を与えた大統領として歴史に名を残すであろう。他方、その米国の最大にして最強の同盟国日本もまた、この時期の米国の戦略と意思を支え、命運を決定づけた米国自身以外の最大の力として後世の歴史教科書の叙述の対象となろう。
第43、44代米国大統領ジョージ・W・ブッシュ・ジュニア氏は、キリスト教信仰の篤い人として知られ、ブッシュ大統領の言動は米国の聖書的保守主義キリスト教の立場を明確に示すものとして知られる。さらには、その立場に必ずしも賛成でない立場からは、ネオコン ---- ネオ・コンサーヴァティヴ ---- 新保守主義と呼ばれ、危険視すらされている。
このように、世界に大きな影響を与え、また、自らも大きな変化の只中にあるアメリカだが、このアメリカの国体である米国憲法は成立して以来200余年の間、若干の修正条項は別として、憲法本文そのものには、まったく何の加筆も削除も加えられていない。常に変わり続ける世界の中にあって、聖書以外に長期に亘って変わらず、しかも世界に多大な影響を与える続けているものを見つけるのは容易ではないが、この200年余という期間に限って言えば、米国憲法もまたそういったものの一つと言えよう。
今日、アメリカが世界に与える影響は、このような軍事や政治の領域にとどまらず、経済、科学技術、文化、教育、学術、宗教など広範な領域に亘っている。とりわけ宗教の領域においてはキリスト教に限らず、イスラム教、仏教、ニューエイジ宗教など、様々な諸宗教がアメリカに入り、そこに根付き、発展し、さらにはアメリカから世界へと再び広がっていっているが、アメリカは建国当初はキリスト教信者が絶対多数を占め、キリスト教的理念を持つキリスト教国であった。現在では世界最大の世俗国家の一つである。キリスト教宣教という観点からは、母国から海外に派遣される宣教師の数は英語圏からの宣教師が約98%を占めるといわれ、また、影響力のある主要な宣教団体のほとんどが米国に本拠を持つ。
今日、キリスト教会とキリスト教史全般に影響を与える主要な力は米国や米国の教会だけではなく、例えば、70年代から80年代に大リバイバルを起こした韓国の教会や、現在、一日の受洗者数が常時3万人を超えるといわれる中国の家の教会などがあるが、文献資料の豊富さや入手の容易さ検証のしやすさ、リンガフランカ ---- 古代のギリシャ語や漢語、ラテン語、アラビア語などのような、発祥の地固有の領域を超えて広範に使われる言語のこと ---- の役割を事実上担う英語の存在などを考慮に入れると、教会史を世界史的枠組みで捉えるとき、現代アメリカを起点に据えると論述がしやすい。そこで、本稿の「序」では、アメリカの宗教的出自について触れたい。
米国の成り立ちについては様々な諸説があるが、教会という観点からは「ジャン・カルヴァンの申し子」という見方を採ると様々な教会史的要素を統一的に説明しやすくなる。今となっては死語となりつつあるが、いわゆるWASP --- スズメバチ- a wasp,wasps ---のことではなく、White Anglo-Saxon Protestantの4つの単語の頭文字を取って1語としたもの ---- 白人でありイギリス系でありなおかつ宗教的にはプロテスタントの信者----という属性を持つ人々が移民の初期の頃からの多数派を占め、その人々こそが米国の「建国の父」となった人々である。「長老・改革派系」の教会に属する、いわゆる「カルヴァン主義」の信仰を持つ人々はその中でも初期米国人口の9割という絶対的多数を占め、米国での教会形成、神学形成の主役を担った人々であった。
1611年に英国で「欽定訳聖書( King James Version )」が出版されてしばらくすると、英国の識字率は飛躍的に上がり、出版後の60年間でこれまでの5%以下だったものが80%半ばを超えるまでになったという。しばらく後に英国は世界の先陣を切って産業革命に突入するが、欽定訳聖書普及による識字率向上は産業革命を成り立たせる重要な前提となった。当時の米国は英国の植民地であるので、欽定訳について英国に言えることはそっくりそのまま米国についてもあてはまる。
1646年の「ウェストミンスター信仰告白」は先に述べた「長老・改革派系」教会の信条である。1658年会衆派教会の「サヴォイ宣言」、1689年バプテスト派の「第2ロンドン信仰告白」は、礼典論、教会論の部分こそ「ウェストミンスター」とは異なるものの、それ以外の主要な部分は「ウェストミンスター信仰告白」の内容をほぼ一字一句そっくりそのまま踏襲している。同時期の米国人口の約9割が長老改革派系の信者であること、会衆派、バプテスト派がほぼ同じ内容の信条を採択したことなどを考慮に入れると、「ウェストミンスター」を基軸とする信条を採択したグループは人口の9割を超えたと考えられ、「絶対多数」を超え、「超安定的絶対多数」のグループが形成されたと言えよう。この数字は社会的にも教会政治的にも「動かしがたい前提となる重要な宗教的、社会的、人的基盤」が存在したことを意味する。米国を「ジャン・カルヴァンの申し子」と見る意味はここにある。今となっては、ほぼ同じ一つの信条を共有する「超安定的絶対多数」のグループはアメリカにはもはや存在しないが、そのような存在がアメリカの過去に長期に亘って存在した、とういうよりも、むしろアメリカそのものであり、アメリカの教会そのものであったという歴史的事実がその後のその国とその国の教会の歩みを絶対的に決定付けたことは言うまでもない。現在でも人口の約4割が「新生したキリスト信者」を自認し、特に激しい迫害もなく、安定的に宗教的自由を享受している最大のキリスト信者のグループがアメリカのクリスチャンであるのは、彼らの父祖の国づくりや教会形成に果たした役割に負うところが大きい。
そのアメリカに最大の影響を与えたジャン・カルヴァン(1509-64)は、マルチン・ルター(1483-1546)やウルリッヒ・ツヴィングリ(1484-1531)などと並ぶ宗教改革者として知られる。主著は「キリスト教綱要」であり、この著作は以後の教会に多大な影響を与えた。「予定調和説」「二重予定論」などとして知られ、後世の教理論争に最大の主題の一つを提供したが、もともとは、アウグスティヌスの「神の恵みの教理」から着想を得たという。ルターについても同様で、両者ともアウグスティヌスからの影響が大きい。ここではこれ以上カルヴァン、ルターについての記述はしないが、「21世紀の教会」という観点から見るならば、アメリカの存在なども含め、カルヴァンの影響は他を圧倒していると言える。第2ロンドン信仰告白やフィラデルフィア信仰告白(1742年)などのバプテストの信条を見ると、バプテスト教会もまたカルヴァンの霊的遺産の相続者である。アルミニウス主義バプテストなどのアルミニウス陣営はもちろんそうではないが、カルヴァン主義の対抗軸として位置づけるのならば、やはり、カルヴァン主義神学の影響下にあると言ってよい。神学的影響力という点からは、ローマ・カトリック教会や日本基督教団、他などの「教会合同運動(エキュメニズム)」やカリスマ運動、リヴァイヴァル運動、霊の戦いの神学などに対して拮抗する中心的な存在といえよう。以上の記述を出発点として、1世紀から順を追って今日までの教会史の輪郭を提示したい。
2005年2月2日 池城安敏
年表
1世紀
イエス・キリストの誕生(紀元0年または1年ごろ)
ポンテオ・ピラト、ユダヤ総督に就任(紀元26から36年)
イエス・キリストの十字架の死、復活、昇天(紀元30年ごろ)
パウロの改心(32年ごろ)
パウロの伝道旅行 第1回・2回・3回(47年から56年ごろ)
ネロ帝即位(54年)
パウロのカイザリア監禁(57年ごろ)、ローマ護送(59年ごろ)
ネロ帝の迫害(64年)(ペテロ、パウロ殉教か)
ドミティアヌス帝の迫害(95年)
2世紀
5賢帝時代(96から180年)・トラヤヌス帝の迫害(112年)、ハドリアヌス帝の迫害(125年)
3世紀
デキウス帝の迫害(250年)
ヴァレリアヌス帝の迫害(257年)
powered by Quick Homepage Maker 4.50
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM